中学、高校、大学の受験でも、恋愛、結婚、就職、転職、副業でもそうだが、やらない後悔よりやって後悔した方が良い。
行きたい中学、高校、大学があれば納得するまで、挑戦するべきだし、最初からあきらめていては何も始まらない。あの時やっていれば、と後からやらずに後悔するよりも、死ぬほど努力してそれでもダメだったら、あきらめがつくというものだ。
自分はすごい人間だということを言いたいわけではないが、若いころはいつも高い目標を持っていた。地域で最も難しい高校を目指したり、東大や京大を目指していた。結局人にすごいねと言われたかっただけかもしれない、異性にモテたかっただけかもしれない、ドヤ顔がしたかっただけだったかもしれない。目標に向かって自分なりに限界まで努力したのだが、時既に遅しという状態だったので、目標の学校には入れなかったが、そこそこの高校や大学に入ることはできた。第一志望ではなかったので、ふてくされて学校に通っていたが、今思うとあの時頑張ったり、苦労したことがその後の人生の色々な場面で役に立っていると思う。例えば何か仕事で困難にぶつかった時、最善の方法を必死に考え全力で対処することができる。会社が潰れた時も、必死で就職活動をし、少しでもいい待遇の会社に入れるように求職活動をした。こういったことは若いころの苦労と努力で培われたのだろうと思っている。
異性と付き合うのも同じことが言えるだろう。よっぽどモテる人はいいのだが、大半の人は人からチヤホヤされる人は少ない。好きな人ができて、何とか付き合いたいと思った時、何とか興味を持ってもらおうと一生懸命努力をするのだが、そもそも相手は何も思っていないかもしれないし、逆に少しは気になっていたのかもしれない。何もアクションをしないと、クラス替えや卒業で別れ別れになってしまう。当たって砕けろと言われるように砕けたくは無いが、告白なり何なりしないと、後で後悔することになる。どうせ結果は決まっているので、他の人に取られないようにするためにもアタックした方がよい。
ただ、注意しなければならないのは、夢を追いすぎてそれがダメになった時である。特に目標を一本だけに絞った時、それを成し得なかった時の落胆はすさまじいものである。立ち上がるまでに何か月も何年もかかることがあるし、一生引きずることもある。精神的にも考えられないほどダメージを受け、中には命を落としてしまう人もいるかもしれない。夢を追うというのは目標を掲げて、それに向かって一生懸命努力をするのだが、絶対に無理なこともあるし、その時の運もあるし、もともと適切な能力が備わっていないこともあるし、どうしようもないこともあるのだ。今は時代の流れも速いので、もし目標がダメになった時はどうするのか、目標を達成してもそれが世の中の役に立たないものになっていた時どうするのか、どうなってもいいように臨機応変に対応できるように考えながら行動していくことが重要になる。
何にせよ、兎に角、目の目標に向かって全力でやることに尽きるのではないだろうか。