10年前の2011年3月11日14:46東北地方太平洋沖地震M9.0(8.8から訂正)が発生した。
この震災で亡くなられた方々へ、謹んで哀悼の意を捧げるとともに、ご遺族の方々にお悔やみを申し上げます。また、被災された方々や、今も避難生活を余儀なくされている方々に対し、心からお見舞いを申し上げます。
当時の状況の記録が残っていたので公開する。日本は同じようなことが今後も何回も起こるだろうから、今後の教訓にしたい。
2011年3月11日
夜になっても出身地の山形に電話がかからなかった。携帯電話はDocomoからの発信は可能だったが、au、Softbankからの発信は出来ない。着信は可能であった。こういう時はDocomoが強いのか。また、HPは防災科学技術研究所につながらなくなった。
そのころ為替は一気に円高になる。
震災の影響で日経平均は先が読めないので手じまいのためか一気に暴落していた。
CME日経平均先物も連動して大暴落していた。
この時はこれからどうなるのか全く予想がつかなかったが、原発が爆発したときはもう日本には住めないのかとも思い、会社を辞めてなるべく南の方に引っ越すことも考えた。
2011年3月13日
東京電力計画停電が予定される。
地震の後、コンビナート爆発、津波、原発爆発と最悪の事態となっていた。
地震の規模は近年最大規模、関東大震災に次ぐ死者を出すと言われていた。
原発は今必死に冷却しているが、冷却できなかったらチェルノブイリと同じ運命になると思われた。
バックアップの火力発電の復旧までに輪番停電することになるが、原油も高くなっているし、為替は容赦なく円高に振れており、日経も9000円台に突入する。市場は、週明け容赦なく売りが入っていた。
2011年3月14日
かなり状況が悪い。今日備蓄のためガソリンと灯油、各種消耗品を購入した。応援にきていたロナルドレーガンの部隊も引き返したようだ。ただの水素爆発ではない。チェルノブイリよりすさまじい測定不能な放射線が出ているとのことであった。自宅では放射線測定装置を購入しようとしたが、売り切れで、アメリカから業務用の放射能測定器を輸入したが、届いたのは確か半年後だった。今も自宅にあり、きちんと動作する。
2011年3月15日
東京の会社は、防塵マスクをして、強制的に帰るようにとの通達が出ている所も多かった。電話については名古屋や大阪に回線を切り替えて応対をしている。東京では米などの食料や水なども全て売り切れている。炉心爆発は核爆発である。誘発爆発すると半径300kmは危険と言われていた。
日経平均は1015円34銭安の8605円15銭
一時8000円の大台を割れて7900円まで下落した。
2011年3月20日
原発の問題も昨日山場を越えた。しかしまだ油断はできなかった。それにこれからわれわれ日本人は放射能汚染の国民として世界から敬遠され、日本製品は福島産に限らず売れなくなってしまう。中国では日本製品から放射能が検出されると、即座に送り返されるとのことである。
2011年3月26日
震災の影響が徐々に出てきた。物の入手が困難になり、自粛や震災以前からの不景気、海外へのシフトなどの影響もあり、業績が悪化、会社も交代勤務することになった。
テレビは震災の報道で埋め尽くされ、コマーシャルは自粛の影響でACの「あいさつの魔法」ばかりである。
以上が当時の記録であるが、日本は自然災害が頻繁に起こるので、何が起きてもいいように常日頃から震災に備え準備しておかなければならない。